実印に限らず、法人であれ、個人であれ日本では高額の契約から、金銭のやり取り(領収証など)といった日常的なことまで、本人確認のために「印鑑」を使用することに慣れ親しんでいます。
一方、日本以外の国、特に欧米諸国では印鑑より署名=サインを使用することがほとんです。
※署名=サインとは、自分の氏名を自分で自署=書くことをいいます。
では、日本において署名と印鑑の効力はどうなっているのでしょうか?
結論から言いますと、署名だけでも同じです。
ビジネス上の契約書では、署名と書き判または拇印で裁判でも十分有効な契約書として認められます。
※書き判とは、自分の名前を印鑑の形のようにして、署名すること。
つまり、有効な契約書を作製するには印鑑は必ずしも必要ではないのです。
では、なぜ印鑑を押す習慣があるのでしょうか?
日本では印鑑、とりわけ実印などを押すということは本人が、該当する契約において、本人自らが「確認し、最終的な意思決定を行った」ことを証明するためであると考えられています。
ですから、印鑑を押していない契約書は「下書き」であるという認識の人も多いかもしれません。
しかしながら、先ほども説明しましたが、「署名と書き判または拇印」であれば十分有効な契約書として成立しうるわけです。印鑑を押していないからといって、契約書が成立しないということにはなりません。
署名に加え、印鑑を押すということは本人自らが「確認し、最終的な意思決定を行った」ことを証明することに他ならず、実印を押し、さらに印鑑証明書を提出すれば、それはほとんどのケースで有効な契約書の成立となります。
また実印と印鑑証明書のセットは、第3者機関である市区町村が、「その印鑑は本人のものであることを証明する」ものとして、お墨付き=信頼を担保するのに最適であるために、契約の際にお互いが安心して取引できるという点も決して見逃せません。
特にマンションや自動車といった高額な取引をする際に、書面だけでは測ることができない、安心して取引できるという意味での「実効力」には貴重なものがあると思います。
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署名(サイン)と印鑑の違いなどについてのまとめ
私見ですが、海外で商習慣として印鑑ではなく、サインで済ませられる背景には、「便利さ」や「手軽さ」を重視しているのに対して、日本では「信頼性」「安心」などを重視している傾向が現在の商習慣に繋がってきたのではないかと思います。
実際のところ、印鑑を作るのにもお金はかかりますし、実印となればさらにお金が掛かる上に、保管するのにも気を使い、お金をかけています。さらに、提出が求められるときは3ヶ月以内の証明書を・・・などと求められます。
こういった時間やお金をかける商習慣はコストなどの観点からすれば、とっくに廃れていてもおかしくないと思いますし、戦後などは特にそのタイミングとして絶好のタイミングだった気がしますが、そうはなりませんでした。
つまり、それくらい、時間やお金や手間をかけて押す印鑑だから本人も最終意思が確定したと見ることができるし、さらに信頼し、安心して取引できるということになるかと思います。
また見方を変えれば、欧米は個人主義、自己責任にウェイトが置かれた社会である一方、日本は比較的、その反対の方向で戦後を歩んできたように感じられます。
そうした見方が成立するとすれば、本人を確認する社会のシステムとして、自分で署名する=サインを欧米の国が重視し、日本では自分が登録した印鑑であることを「第3者が証明する」=実印や印鑑証明を重視してきたことはとても対照的で分かりやすいという気もします。
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